餃子工房大分マルナカ・新商品販売!「カボス餃子」

餃子工房大分マルナカの新商品「カボス餃子」です。

「カボス餃子」(冷凍生餃子)
大分特産のカボスの香りと味を包み込み、スパイシーもきかせ、しっかりした味の
餃子です。
大分のカボス生産量は全国の約96%(2009年農林水産省発表)で大分を代表する特産品です。
大分の土産にもご利用ください。


餃子工房大分マルナカ・新商品販売!「由布餃子」

餃子工房大分マルナカの新商品「由布餃子」です。

「由布餃子」(冷凍生餃子)
大分県の由布院を象徴する男山、由布山は豊後富士ともいわれています。
由布山の雄姿のごとくパワーアップ餃子をつくりました。
ニンニクをきかせ、相性のいいニラとあわせ、肉も増量し、
パンチの聞いた餃子をご賞味ください。
一函18個入り¥680(税込み)

商売繁盛には「マーケティング」

商売繁盛は商売人には祈りです。

商売繁盛といっても、
先ずは自社の商品・製品が安全・安心・新鮮であるこというまでもありません。

そのうえで、営業努力が必要ですが、
最近参考になる本がamazonで出版されました。

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ファンと売上が自然と増える
「しつもんマーケティング」無料で本が読めます。

***ここに感想など書いてもらえるとうれしいです。***
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もちろん、感想なしでもいいですよ!

http://shitsumon.jp/qmkt/

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本の中では真の「あなたのファンを増やすこと」について書かれています。
お店にとっては最も大事なことだと思います。
参考までに紹介させていただきました。

油屋熊八ゆかりの由布院「亀の井別荘」と風水の「金鱗湖」

油屋熊八氏ゆかりの由布院、亀の井別荘を先般訪れました。

個人的なことですが、
数十年にわたって由布院に訪れていたにもかかわらず、
写真が一枚もなかったので、
写真だけの目的でした。

亀の井別荘に隣接する金鱗湖は風水を感じます。
龍が由布山からの山麓を背にして、
金鱗湖に頭をもたげて水を吹き出し、
この金鱗湖には昔から龍が住んでいるとの言い伝えもあります。

日本の風水で代表的な場所は京都です。
京に平安京が遷都されるにあたっては、
風水によって選定されました。

龍の背が京都五山で、
神泉苑に龍が首をもたげて水を噴き出しているといわれ、
神泉苑につづく先に昔の御所がつくられました。

この話には後日談があります。
徳川が江戸に幕府を開くにあたり、
神泉苑につづく場所に二条城を建てて、
天皇家の力を削いだといわれています。
このような例は、
チベットのポタラ宮にもみられます。

風水のある場所は繁栄するといわれ、
パワースポットでもあるようです。

亀の井別荘も同様に繁栄し、
気が満ち溢れているのだと思います。

観光王、油屋熊八

観光王、油屋熊八 油屋熊八は別府の観光王と称された人です。
1863年8月29日(文久3年7月16日)に伊予国宇和島城下(現愛媛県宇和島市)で生まれました。

熊八氏を紹介する書籍は多くありますが、以前NHKのテレビで熊八氏を紹介する番組があり、この内容をもとに記憶の範囲で足跡を紹介します。

熊八氏は手が大きいことを自慢していたようで、集合写真などでは手を開いて写っている写真が残されています。
自身の手形もありますが、検証した結果、大きいことは大きいようですが手形を押すときに、指先を伸ばしたたりした跡がみられるなど愛嬌もあったようです。
手の大きさを競う「全国大掌大会」を別府で開催し、相撲取りなども呼び寄せるなど、現在で言うところのイベントの先駆者でもありました。

アメリカに渡ったこともあり、とにかく器の大きい人で、言うことも大きく、ともすればほら吹き的な人とみられてもいたようです。

氏が別府に住むようになって目をつけたことは、昨今は外国からの旅行者が日本中を訪れるようになっていますが、戦前は東京と京都が中心で、地方まで旅行する外国人は少ない時代でした。そこに目をつけ、別府の温泉を活かす発想を思いついたようです。
アメリカからの旅行者が東京から京都への流れの後、別府へ向かわせるために大阪港から別府港まで運航する関西汽船を興しました。
別府に訪れた外国観光客の受け入れのために洋館が必要であり、洋館の亀の井ホテルをつくりました。

観光では有名な話として、全国で初めて女性バスガイドによる案内つきの定期観光バスの運行を始めました。
また高崎山の猿の餌付けをするなど、高崎山観光の礎を築きました。

別府への誘致も別府市に別府宣伝協会をつくり、「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズの標柱を富士山山頂付近に建てるなど、全国各地にも建てて回りました。

「別府の奥座敷」として、由布院温泉にも「亀の井別荘」を建て、与謝野鉄幹・晶子夫妻も滞在するなど、文人墨客を招くなど、別府とは違った温泉地として特色を打ち出しました。
後の由布院運動で由布院温泉は新しい姿を見せ、映画祭、音楽祭などの文化活動や牛一頭運動・絶叫大会、地元の食材を宿が観光客に提供するなど産業活動などの展開は熊八氏のDNAが伝わったようにも思えます。
今では由布院といえば、一大観光地として日本で多くの方に知られるまでになっています。

アイデアはこれだけでなく、別府~湯布院~くじゅう高原~阿蘇~熊本~雲仙~長崎間に観光自動車道を提唱し、現代の九州横断道路が開発されました。
当時はやまなみハイウェイとも呼ばれましたが、高速道路と間違われてはいけないので、現代ではやまなみハイウェイの名称は使われていないようです。

熊八氏の九州横断道路構想にはまだ続きがあり、アメリカから日本、東京~京都~大阪~別府~湯布院~くじゅう高原~阿蘇~熊本~雲仙~長崎へ、さらには長崎から上海ルートを通して中国までのアイデアがあったようです。

熊八氏によって別府は大きな発展を遂げ、戦後は関西汽船なども利用しての入湯団が続々と訪れ、別府温泉はかってない賑わいをみせ、周辺の商店街も活気を帯び、不夜城とまでいわれました。

為替が変動制になる前の昭和40年代ころまで、別府は外国観光客で賑わいをみせ、日本交通公社(現JTB)の外国人向け観光ツアー英語ガイド付き(サンライズツアー)などによる別府市内(地獄めぐり・高崎山など)観光が好評を博していました。
当時は海外旅行者数においても県庁所在地の大分市よりも別府市の方が渡航者数が多いなど、別府市はインバウンド・アウトバウンドともに日本の国際都市の一つの町でもありました。

熊八氏は壮大なアイデアと実行力を持ち合わせた実業家でした。
氏の功績は別府に大きな遺産を残し、観光都市別府の発展に寄与しました。

日本での餃子の文献から「福包(福づつみ)」

日本で餃子を初めて食べた日本人は水戸光圀と言われています。
光圀により日本に亡命していた明の儒学者、朱舜水を江戸に招へいし、水戸藩に漢籍文化を学ばせたようです。
そのなかで餃子をはじめとする中国料理の食文化がもたらされたのでしょう。

1707年(宝永4)に水戸潘が刊行した『朱舜水氏談綺』では、光圀へ1689(元禄2)年に「福包」と呼ばれた、鴨肉を使った餃子が献上されています。
江戸幕府将軍、五代徳川綱吉のころのことです。

先般、あるテレビで、「ラーメンを始めてたべたのも水戸光圀」に待った!がかかったという報道がありました。
なんでも、室町時代にラーメンがつくられていた文献が存在したとのこと。
考古学も同様に、遺跡などからたった一つの発掘品でも、今までの定説が覆ることは多々あります。
今のところ、餃子には新しい文献などはないようです。

餃子の歴史と福

中国では東漢といわれている後漢(西暦25年~220年)の時代、長沙(注1)の太守、張仲景という医師が餃子を発明したと伝えれています。
当時、疫病や凍傷などで苦しんでいた人たちを助けるため、治療として暖かい栄養価のあるものとして提供されたと伝えられています。
今で言えば水餃子のようなものでしょうか。
形状が耳のような形にしていたことで、可愛い耳という意味で「嬌耳」と呼ばれていたようです。

餃子は小麦粉がベースになりますが、起源は、メソポタニア文明のときに小麦が栽培され、中央アジアへ渡り、餃子のようなものは春秋時代にはすでに伝わっており、耳の形の餃子はトルファンアスターナ古墳群から出土されています。
同じころの張仲景のいた長沙には耳のような形をした餃子は伝わっていたものか、つくられていたものかと思われます。

時代を経る中で、明の時代には風習として、正月(旧正月)を迎える晦日の夜に餃子を食べることで福を迎えていたとされています。
餃子の形が銀貨に似ていることも縁起が良いとされていたのでしょう。
また、正月になる夜中の12時は子の刻にあたり、年が変わる時刻を「更歳交子」といい、このときに餃子を食べることになったようです。
「交子」の発音が「ジャオズ」、餃子も「ジャオズ」で、同じ発音でもあることがめでたいこととされているようです。

中国では、運のよいこと、目出度いこと、金儲けになることなど、いいことを呼び込むことに熱心な人たちが多くいましたので、古来から受け継がれてきた流れがあるように感じます。

福耳はお金持ちとよくいわれていますが、餃子も福を呼び込むはずです。

(注1)長沙は現在、中華人民共和国湖南省の省都です。
1972年中國国交正常化後、一般の人が行ける中国への旅行は視察旅行の名目で、40数年前の夏に長沙にも訪れましたが、長沙は中国で最も暑く、40度もあると言われていました。
現在でも熱さは変わらないようですが、昨今は日本でも40度前後までの暑さもあり、長沙も影が薄くなりそうです。
長沙には、紀元前2世紀の墳墓、馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)があり、馬王堆の長沙婦人ともいわれる女性のミイラがあり、生きているかのように保存状態がよく、解剖様子の説明もあり、当時の生活の状態まで垣間見られます。

餃子工房 大分マルナカ

「餃子工房 大分マルナカ」は、生餃子・冷凍生餃子のお持ち帰り店です。
豊の国(豊後・大分県)の食材をふんだんにつかった”和のぎょうざ”は安心・安全・新鮮が特徴です。
別府温泉の鉄輪(かんなわ)地区、横断道路沿いにオープンしました。

ご来店いただけない方や遠方の方々のためにオンラインショップを開設しています。
オンラインショップでは冷凍生餃子をオンライン用に設定して販売しています。