餃子の歴史と福

中国では東漢といわれている後漢(西暦25年~220年)の時代、長沙(注1)の太守、張仲景という医師が餃子を発明したと伝えれています。
当時、疫病や凍傷などで苦しんでいた人たちを助けるため、治療として暖かい栄養価のあるものとして提供されたと伝えられています。
今で言えば水餃子のようなものでしょうか。
形状が耳のような形にしていたことで、可愛い耳という意味で「嬌耳」と呼ばれていたようです。

餃子は小麦粉がベースになりますが、起源は、メソポタニア文明のときに小麦が栽培され、中央アジアへ渡り、餃子のようなものは春秋時代にはすでに伝わっており、耳の形の餃子はトルファンアスターナ古墳群から出土されています。
同じころの張仲景のいた長沙には耳のような形をした餃子は伝わっていたものか、つくられていたものかと思われます。

時代を経る中で、明の時代には風習として、正月(旧正月)を迎える晦日の夜に餃子を食べることで福を迎えていたとされています。
餃子の形が銀貨に似ていることも縁起が良いとされていたのでしょう。
また、正月になる夜中の12時は子の刻にあたり、年が変わる時刻を「更歳交子」といい、このときに餃子を食べることになったようです。
「交子」の発音が「ジャオズ」、餃子も「ジャオズ」で、同じ発音でもあることがめでたいこととされているようです。

中国では、運のよいこと、目出度いこと、金儲けになることなど、いいことを呼び込むことに熱心な人たちが多くいましたので、古来から受け継がれてきた流れがあるように感じます。

福耳はお金持ちとよくいわれていますが、餃子も福を呼び込むはずです。

(注1)長沙は現在、中華人民共和国湖南省の省都です。
1972年中國国交正常化後、一般の人が行ける中国への旅行は視察旅行の名目で、40数年前の夏に長沙にも訪れましたが、長沙は中国で最も暑く、40度もあると言われていました。
現在でも熱さは変わらないようですが、昨今は日本でも40度前後までの暑さもあり、長沙も影が薄くなりそうです。
長沙には、紀元前2世紀の墳墓、馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)があり、馬王堆の長沙婦人ともいわれる女性のミイラがあり、生きているかのように保存状態がよく、解剖様子の説明もあり、当時の生活の状態まで垣間見られます。